「どうしたんですか、先輩」
首からタオルを下げて現れた相手に、副都心は言った。
彼が「先輩」と呼ぶ相手はひとりしかいない。
その、ひとりしかいない有楽町は自分の髪をついと撫ぜ、未だ湿っていることに顔をしかめた。
「辰巳で地上に出たら、ちょうどゲリラ豪雨に捕まってさー」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないから、武蔵野にタオル借りてきたんじゃないか」
その言葉に副都心は不機嫌になった。
「……僕の前で他の男の名前は出さないで下さい」
「はあ?そしたら、会話が成り立たないじゃないか」
「それでいいんです。先輩は僕のことだけ見てればいいんです」
「何言ってんの」
有楽町は首に下げたタオルの両端を掴んで溜め息をついた。
そのタオルにはご丁寧に○○温泉と名前が入っている。
「世間が狭いのはよくないって言ってるだろ」
「構いませんよ」
そこで、有楽町は再度溜め息。
「何処で育て方間違えたかなぁ」
「だから、先輩」
「何」
不穏な空気を感じつつ、有楽町は顔を上げる。
「キスして下さい」
「はあ?」
突拍子もない行動には慣れている筈だったが、思わず大きい声を出して唖然とした。
更に顔を近づける後輩の額を慌てて押さえつける。
「誰も見てませんよ」
「そういう問題じゃなくて!」
「じゃあ、問題ないじゃないですか」
「さっきから接続詞間違ってるぞ、お前!」
「じゃあ、先輩が教えて下さい。ベッドで」
「何でそこでベッドが出てくるんだ!」
ようやく副都心の顔を追いやった有楽町は、はあと肩を下げて背を向けた。
「バカなこと言ってないで、行くぞ」
「僕の部屋ですか?それとも、先輩の」
「仕事だ、し・ご・と!」
有楽町は首から白いタオルを下げたまま歩き出す。
「分かりました。終電後に待ってます」
「だから、どうしてそうなる……」
額を抑えて呟く。
「俺、早まったかも……」
「何か言いました?」
「さっさと和光市行ってこい!」
「そんな照れ屋の先輩も好きですよ」
「なっ……!」
瞬時に顔が熱くなるのが分かる。
「バカなこと言ってないで、さっさと行けー!!」
はぁいと軽い返事をして駆け出す後輩を見送りながら、有楽町は深い深い溜め息をついた。
「俺、何であんな奴がいいんだ?」
それに答えてくれる人はいなかった。
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