「やっと大宮……」
高崎は足を緩めて息を吐いた。
何しろ籠原からずっと走り続けてきたのだ。
息が上がっても仕方ない。
はあ、と深呼吸して駅舎を見上げる。
「たーかーさーきっ!」
「どわっ!!」
背後から抱き竦められて思わず大声が出る。
「な、何っ!?」
「どうしたの?そんなに驚いて」
「てゆか、お前が驚かしたんだろうが!」
振り返ると自分と良く似た顔が笑っている。
「何すんだよ、宇都宮!」
腕を振り解いて向き直る。
宇都宮は笑いながら首を傾げた。
「高崎こそどうして、この時間にいるんだい?」
「う……」
その問いにたじろぐと更に一言。
「車両点検したって?」
「分かってんなら、言うなよ!」
「ねぇ、高崎」
「何だよ?」
顔を近付けてくるので後ずさりそうになる。
「ちょ、顔近っ」
「高崎」
「だから、ちょっと離れろって……」
「ねぇ、高崎。終電までに回復しなかったら、ひどいよ?」
「な、……」
耳元に落とし込むように囁かれて、反射的に飛びすさる。
「ひどいって何だよ!?」
「さぁ、何だろうね?」
宇都宮は人を喰ったような笑顔を崩さない。
「そういうお前こそ、ここで油売ってていいのかよ」
「うん、だからもう行くけど」
高崎から身を離して、手を振る。
「じゃあ、また後で」
「後って何だよ!」
宇都宮の後ろ姿を見送りかけて、急いでいたことを思い出す。
「言われなくたって、回復するさ!」
慌てて走り出した。
「ふあー、つっかれたー」
深夜。
シャワーを浴びてビールでも飲んで早めに寝ようと思いつつ、高崎は部屋のドアを開けた。
そして、その場で立ち竦む。
「おかえり、高崎」
見覚えのある顔がベッドに腰かけて雑誌を読んでいる。
「な、何でここにいる!」
「鍵開いてたから。無用心だよねぇ」
言われてみると、朝鍵をかけたような記憶がない。
「……だからって、何で中にいるんだよ?」
「待ってたんだよ。とりあえず、入ったら?」
自分の部屋なのに、何故招き入れられなければならないのかと釈然としない心地で中に入る。
「で、何か用? 明日じゃダメなのかよ」
疲れてるんだけど、と続ける。
「皆の前でもいいの?」
「だから、何が!? それより、今日ちゃんと回復したからな!」
「うん、知ってる」
宇都宮は相変わらず底の知れない笑みを浮かべて言う。
「だから、ご褒美」
足元にあったビニール袋をテーブルの上に置く。
ゴトンとかガタンとかいう音が響く。
ビニールの縁からいくつかの缶が覗いていた。
「やった! ビール!」
不機嫌だったのも吹き飛んで、そのうちのひとつを手に取る。
「いただきまーす!」
早速プルタブを開けて、中の液体を流し込む。
「はーっ、やっぱ仕事の後のビールは最高だぜ!」
「高崎って」
「何? やっぱ返せってのはナシだぜ」
「それは言わないけど、遅延回復しただけでそれっておかしいと思わない?」
「だって、自分でご褒美だって言ったじゃん」
不審な目で見ながらも、未練がましく缶ビールから手を離さない。
「半分はね」
「半分?」
「高崎」
顎に手を掛けられ上向かされる。
床に直接座り込んだ高崎から、ベッドに腰かけた宇都宮を見上げる。
「分かるよね?」
「……わかんねぇよ!」
瞬時に赤くなる頬を止められない。
「キスして、高崎」
「なっ…………!」
ぱくぱくと口だけが動いて、言葉にならない。
「な、何言って……」
「今更じゃない。そんな処女みたいな反応されると襲いたくなるんだけど?」
「襲うなっ!」
宇都宮の手を振り払う。
「まだ襲ってないよ」
「きょ、今日はダメだかんな! 疲れてんだよ」
「何? その気なの?」
「ち、違う! 何処をどうしてそうなるんだよ!」
「さぁね」
何処まで本気か分からない。
「そんなん言うんなら、返す」
「でも、飲んじゃったでしょ」
「う……じゃあ、金払う」
「そんなに嫌?」
「嫌って……」
宇都宮の視線に頬が焼けつくように熱くなる。
「そんなの……」
困る。
「じゃあ、いいじゃない」
笑う宇都宮。
「う……」
テーブルに中身の残った缶を置いた。
「き、キスだけだからな」
腕を宇都宮の首に回す。
同じような体格だから、下から見上げるというのが何か不思議だ。
引き寄せる。
宇都宮はまだ微笑っている。
「目、閉じろよ」
「はいはい」
間近にある顔に落ち着かなさを感じる。
今更のように鼓動が跳ね上がる。
この場から逃げ出したかった。
本当に、今更。
「…………」
伸び上がるようにして。
乾いた唇に自分のそれを押し付けた。
「……こっ、これでいいだろっ!」
ぱっと離れて顔を逸らす。
恥ずかしくて目を合わせられない。
「……これだけ?」
「と、とにかくキスしたからなっ!」
そして飲みかけのビールを一息に喉に流し込んだ。
「今時、高校生でもこんなのしないよ」
「う、うるさいっ! それ以上言うな!」
「まあ、高崎だしね」
「どういう意味だよ」
ふてくされて逸らした目線を捉えるように、宇都宮の手が伸ばされる。
両側から高崎の頭を抑えつけるようにし、
「…………っ!」
その唇を塞いだ。
ぬるりと侵入してくる舌を押し返そうとすると、絡め取られて吸われた。
諦めて自分から動かしてみる。
宇都宮の舌は歯茎の付け根や上口蓋の粘膜を辿る。
「ふ……っ」
そして洩れる吐息も逃さぬように唇を合わせてくる。
頬に熱が上がる。
「…………」
息が苦しいと、制服を掴んで訴える。
口内を蹂躙していた舌が抜けていくのを感じ、そして顔が離れる。
「…………はあ」
「やっぱりキスっていうのはこういうのでしょ」
「〜〜〜〜」
高崎は手の甲で口元を拭った。
まだ口の中に宇都宮が残っているみたいだった。
「じゃあ、帰るね」
「あ、ああ」
ぼうとしたまま頷くと、宇都宮が顔を寄せてきた。
「な、何」
「まだ足りない?」
「た、足りてる! 足りてるから!」
早く帰れと言外に告げる。
立ち上がった宇都宮は、座ったままの高崎の髪をわしゃわしゃと掻き回した。
「何すんだよ」
「おやすみ、高崎」
「ああ、おやすみ」
立ち上がって見送るなんてしてやらない。
ドアの向こうに宇都宮の姿が消え、ドアが閉まったのを確認してから立ち上がる。
間違いなく鍵をかけると、高崎は宇都宮が残していったビールに再び手を伸ばした。
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