「八高!」
小川町にやって来た八高に、東上は自分でもびっくりするぐらい大声で呼んでいた。
「なぁに?」
しかし、八高は動じた様子はなく、いつものように近寄ってきた。
「何、東上?」
近くでもう一度訊く。
「え、と、その」
東上は自分の大声が恥ずかしくて俯きながら言葉を探した。
「こないだ貰った大根の漬物が美味かったから……」
「お客さんから貰ったんだけどね。さすがに丸々1本は食べきれないから」
だから、おすそ分け、とサングラスの下の目を細めて言う。
「それでも、ありがとう。越生も美味いって言ってたし」
下を向いて、ぼそぼそと話す。
別にサングラス姿が気になる訳じゃない。いつもの格好だし。
ただ時折正面から向き合うのが恥ずかしいことがある。
例えば、今みたいな。
「いつも貰ってばかりだから……お礼しなきゃ」
「お礼?」
八高は笑い声交じりで繰り返す。
何がおかしいのだろう。
そう思ったけれど、口には出さず。
「何がいいんだ? ……そんな高いのは無理だぞ」
最後に付け加えた言葉に、八高がくすりと笑う。
「そうだねぇ」
空を見上げて考える素振りをしながら、まだ声が笑ってる。
「――じゃあ、東上をくれる?」
「え?」
想像もしていなかった台詞に咄嗟に反応できない。
「そ、それは無理。だって、俺、東武だし」
やっと言えた言葉はうろたえたもので。
八高はその反応を予測していたらしく、黙って微笑を浮かべている。
「そうだよね」
顎に手を当てて頷いたりする。
「そうだよ。何言ってんだよ」
ようやく東上は顔を上げて、八高の顔を見た。
サングラスの向こうの目は見えない。
「でも、欲しいな」
「何、馬鹿言って……」
「うん。ちょっと言ってみたかっただけ」
八高はサングラスを外した。やっぱり目が笑っている。
「お礼なんていいよ。喜んでもらえただけでいいから」
「けど……」
「じゃあ、今度晩御飯食べさせて」
東上は目をしばたたいた。
「そんなのでいいのか? 飯なんかいつでも食べに来いよ」
「だって、東上は料理上手だから」
「あ、でも来る時は先に言ってくれよ。じゃないと越生と二人分しか作ってないから」
「分かった」
八高はまたサングラスをかけた。
「そろそろ行かないといけないんじゃない?」
「あ、うん。じゃ、また」
行きかけて、足を止める。
「来る時は連絡くれよ!」
振り返っての念押しに、八高はまた笑った。
何がそんなにおかしいのだろうと内心で首を傾げつつ、東上は小川町を出発した。
|