みかんがひとつ





座席の上にみかんがひとつ。
東上は首を傾げた。が、そのままにしておくこともできずにころんとしたそれを拾い上げた。
しかし、拾ったもののポケットに入れて潰れるのも何だし、手の上で持て余す。
(越生にあげようか……)
「やぁ、東上」
「――――!」
背後から声をかけられ、思わずびくっと肩を竦めてしまう。
「驚かした?」
黒眼鏡をかけた長身。
「いや、別に」
目を逸らしながら応える。
不意に現れると困る。
「あれ?」
「ん? 何?」
「いつもこの時間にいたっけ?」
八高は「うーん」と空を見上げた。
「中央線のとばっちり」
「えっ」
ローカル線の印象が強くて忘れがちになるが、そういえば接続していたのだと思い出す。
「八王子で待って、拝島で待って、高麗川で待って」
指を折って数える。
「分かったよ。大変だな」
「そうでもないよ。お客さんのためだからね」
「まあ、そうだけど」
八高との会話はいつもそんな感じだ。
飄々と話す八高にどういう反応をすればいいのか戸惑う。
そこで手の上のみかんを思い出した。
「これやる」
ずいっと差し出す。
「みかん?」
眼鏡を外した八高が首を傾げる。
東上はわざと一言だけで応えた。
「おやつ」
八高は柔らかく微笑った。
「ありがとう」
その表情はずるい、と思う。
「じゃあ、行くね」
手をひらひら振って八高が立ち去っていく。
「気をつけろよ」
咄嗟にそんな言葉が口から出ていた。
八高は一度足を止めて振り向いた。みかんを掲げてみせる。
何故そんなことを言ったのか自分で分からず、東上は困惑しながら手を上げた。





ブログからサルベージ。
実は、810は大好物でございます。



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