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「おはよーございまーす」間延びした挨拶と共に盛大な欠伸が出た。
 「おはようございます」
 向かいのデスクに座る女子社員が笑いを噛み殺しながら応じる。
 高崎は、ははっと自身も笑って応じて席に着いた。
 鞄から手帳やら何やらを引っ張り出していると、パーテイションの向こうから話しかけられた。
 「高崎くん、そのネクタイ、部長と同じ?」
 「へっ」
 予想もしない問いかけに、はっと首を折って確認する。
 (やっべ!)
 見覚えのない柄に焦りを覚える。
 朝、宇都宮の家を出る時に間違えて彼のネクタイを締めてしまったらしい。
 しかし、それをそのまま彼女に伝える訳にはいかない。
 上司の家に部下が頻繁に出入りするのは道義的に問題があるし、そこで彼らがしていることはもっと許されない。
 それ以前に、男同士で不健全な関係にあることは絶対に知られてはいけない。
 「え、えっと……」
 さりとて、高崎に上手い言い訳が思い付く筈もなく。
 心なしか顔を赤らめて、狼狽えるばかり。
 「おはよう」
 (!)
 その時、彼らの上司が入ってきた。
 「あ、部長。おはようございます」
 「おはようございます……」
 女子社員の朗らかな声に消されるような声で、高崎も挨拶を返す。
 「どうしたんだい?」
 そんな高崎の様子にいち早く気付いた宇都宮が問いかける。
 「部長!高崎くんのネクタイなんですけど」
 高崎より先に件の女子社員が話しかけた。
 「ん?」
 「部長も同じの持ってませんか?」
 宇都宮は小首を傾げて、座っている高崎のネクタイを見た。
 「ああ、そうだね」
 「!」
 あっさり首肯した宇都宮に、高崎は驚いて顔を上げた。
 「やっぱり〜」
 彼女は何故か嬉しそうだった。
 「一本ぐらいはいいネクタイを持っていた方がいいからね。そこのブランドを教えたんだけど」
 宇都宮も笑顔で相対する。
 「たまたま同じのを買っちゃったみたいだね」
 「お揃い!」
 更に嬉しそうに声を上げる。
 高崎は頭の上で交わされるやりとりをぼんやり聞いていた。
 「かぶらないように気を付けるよ。ね、高崎くん」
 「!は、はあ」
 いきなり矛先を向けられてよく分からないまま頷いた。
 ふいに宇都宮が背を屈めて、高崎に耳打ちした。
 「それ、気に入ってたけど、高崎にあげるよ」
 「!」
 くすぐったさに首を竦めている間に、宇都宮はそこから立ち去っていた。
 (……あげるって……)
 諸手を上げて歓迎できる事態ではない。
 それに対する見返りが。
 (絶対、タダじゃないよな……)
 斜め前の席に着く上司の姿を見遣ると、視線を感じたのか、高崎に笑顔を向ける。
 (あの顔……)
 そういう時は必ずよからぬことを考えているのだ。
 「あああー……」
 思わず口から出た声に隣の同僚がびくっと肩を震わせたが、高崎は気付かない。
 (でかい借りを作っちまった……!)
 ブランドとか言っていた。きっととても高価な品なのだ。
 その代償として、あんなことやこんなこと、とても口に出せないような不埒なことをさせられるにちがいない。
 それを思うと、とても気が重い。
 毎度、恥ずかしくて死にそうな思いをするのだ。
 (あああ、今日も家に帰れないのか……)
 高崎は頭を抱えて机に突っ伏した。
 (俺、いつ家に帰れるんだ……?)
 とりあえず、明日は間違えないようにしよう、とそれだけは決心した。
 
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