残業1





 一ヶ所のみ点けられた蛍光灯が、その真下の高崎だけを照らすイースト商事営業部フロア。
 さして広くもない部屋の、明かりはそれひとつきりだった。
 ドアが開く音に、高崎は首だけそちらに向けた。
 営業部の部長である宇都宮がネクタイの首元を緩めつつ、入ってくるところだった。
「あれ、高崎まだいたの?」
 その言葉に、むう、と渋面を作る。
「しょうがねぇだろ。今日一日外回りしてたんだから」
 二人しかいないので、高崎の口調はぞんざいなものだ。
「そうだっけ」
 高崎の背後で足を止める気配。
 知らず、背筋が緊張する。
 ぽんと肩に手を置かれ、反射的に首を竦める。
 宇都宮が長身を屈め、高崎の肩越しにモニターを覗き込んだ。
「何やってるの?」
「明日の会議の資料!」
「ふうん」
 宇都宮の顔が顔の近くにあった。
 落ち着かなくなる。
 先程まで勢いよくキーボードを叩いていた指が止まる。
「高崎、手が止まってるよ」
 その指摘に誰のせいだと反論しようとした時。
「!」
 息が止まる。
 宇都宮の手が肩から首筋、頬へと撫で上がる。
 ぞくりとする。
「う、宇都宮っ」
「何」
 頬から更に上に上がり、高崎の短い髪を弄ぶ宇都宮の指。
 そこに何らかの意図を感じてしまう。
 だが、むげに触るなとも言えず、高崎は押し黙った。
 もともと宇都宮はスキンシップを行う方ではない。他の社員の肩を叩いたりすることもない。
 高崎だけ。
 それも人に知られては困る関係になってから。
 だから、高崎は宇都宮の手を振り払えない。
「高崎」
 宇都宮は散々高崎の髪をいじった後、再び頬を撫でた。それから、人差し指でついと顎を持ち上げた。
「…………」
 ひとつだけ点った蛍光灯が目に眩しい。
 宇都宮の顔が近付いてくる。
 高崎は観念して目を閉じた。
 触れるだけのキスを交わす。
 宇都宮の唇はいつも少しだけ温度が低く、乾いている。
 その時、腹の方で何かごそごそする気配がした。
「……ちょっ!」
 見ると、宇都宮の手がシャツの裾を引っ張り出そうとしていた。
 さすがにその手は押さえる。
「ちょ、ちょっと何してんだよっ!」
「何って、言ってほしいの?」
「い、言わなくていいっ!」
 身を捩ってシャツを死守すると、キーボードをいくつか叩いた。
「……やっぱ、明日早く来てやるっ!」
 上着の前を掻き合わせながら、くるりと回るように立ち上がった。
「高崎が? 朝早く?」
 揶揄する口調には答えず、鞄を引っ掴んだ。
「じゃ、電気消すから! 鍵よろしくっ!」
 ぱちり、と容赦なく唯一の蛍光灯を消した。非常灯のぼんやりした明かりだけになる。
 そこに佇む宇都宮を置いて、高崎は営業部から飛び出した。
 いつまでも顔が熱いのを自覚しながら。





宇都宮部長にしてはおとなしいですな。
しかし、後日、逃げた分のツケが回ってきます。



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