――ええと、次が小手指行きで、その次が森林公園で……。
そんなことをぼんやり考えていたから、周りの様子が見えていなかった。
「…………う、………くちょ……」
「――――わっ!」
いきなり腕を掴まれて、思わずびくついて大声を上げてしまった。
――その感覚が、別の感覚を呼び起こしたから。
「ああ、ごめん」
「……あ、いや、こっちこそぼーっとしてて……」
律儀に小さく頭を下げたのは日比谷だった。
「こないだのミーティングの資料なんだけど」
「……ああ」
生返事を返しながら、プリントアウトした書類を受け取る。
そういえば、こないだは線路内点検で出られなかったんだった。
「有楽町、何か疲れてる?やっぱ、東武と西武の間ってきつい?」
「……いや、そういうんじゃないけど」
本当に、そっちは何でもない。
自分でも上手くやってると思う。
――じゃあ、そっちじゃないって、どっち?
「………う、有楽町、聞こえてる?」
「あ、ああ……ごめん」
「本当に疲れてない?先刻からずっと上の空だよ」
「……少し、疲れてるのかな……」
あまりに日比谷が心配そうな顔をするので話を合わせた。
上の空の理由は分かってる。だけど、言いたくない。
「最近、何か元気ないみたいって半蔵門も気にしてたよ」
「あいつに言われると何か腹立つな……」
「それだけ様子が変だってことだよ。本当に大丈夫?夜、寝てる?」
「寝て……眠れてるよ。大丈夫」
一瞬頭を過った別の意味を無理矢理振り払う。
作った笑顔に、日比谷は相変わらず心配そうな表情を崩さない。
「じゃあ、次西武乗り入れだから。あいつら自分の遅延には甘いくせに、他人には厳しいから」
「はは。やっぱり苦労してるんだね」
苦笑する日比谷に手を振って別れた。
――次が小手指で、その次が森林公園で、その次が……。
指を折って、頭の中でダイヤを繰り返す。
ただとにかく時間が過ぎてほしい。早く夜が過ぎて、翌日になればいいとそればかり思う。
夜が――怖いのかもしれない。
「……怖い?」
何が?
――いや、誰を、だ。
「――――っ!!」
ぐい、と腕を掴まれ、また無意識に体を硬くする。
「………………っ!」
今度は合っていたのだ。
その反応は。
「どうしたの?そんな驚いた顔して。ここにいるのがそんなに不思議?」
「……りん、かい…………」
無意識に名前が口から零れ落ちる。
何て言えばいい?
どんな顔をすればいい?
笑顔を作って「やぁ、調子はどうだい」って――。
「――――っ!」
しかし、更に腕を強く引かれて、顔は驚いたまま固まって。
後頭部に宛がわれた掌を感じた瞬間、唇を奪われた。
「――――っ!!」
拳を振り上げて殴ろうとした瞬間、それはするりと離れて、しかも手首を掴まれてしまった。
「りんかい!」
「今更でしょ」
なんて言って薄く笑う。
「こんなところで!誰かに見られたら!」
「別に」
「な――っ」
「…………ゆうらくちょうー!」
呼ばわる声に、りんかいの手を振り払ってそちらを向くと、先程別れた筈の日比谷が走っていた。
「日比谷?」
途端、ぎくりと体が硬直する。
――見られた?
「先刻の資料、間違えて同じの二部渡した!」
そんなことどうでもいい。
けど、その様子なら。
「あ、りんかい?」
眼鏡の向こうの目を丸くしている。
そうだろう。メトロ組にはあまり縁がない相手だ。
「接続、してるから」
小さく会釈しただけで何も言わないりんかいに代わって説明する。
「あ、そうなんだ。――じゃあ、これ、こっち」
有楽町の手元の書類をさっさと差し替えて、去っていく。
残されたのは、何処か間が抜けた空気。
「じゃあ」
妙にアメリカナイズされた仕草で片手を上げて立ち去ろうとする。
「――りんかい!」
「何」
一度、息を吸った。
「……人がいるとこであんなコトするな」
「さぁね」
大仰に肩を竦めて背を向ける。
有楽町は絶句した。
それって答えになってないとか他にいろいろ言葉は浮かんだものの、口から出る前に泡となって消えた。
そうしている間に黒尽くめの姿は離れていく。
何かの暗喩をしているようで、有楽町はそれに背を向けた。
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